「御意見・御提言に対する石巻市の考え方」を読んで。

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現状で私は石巻市民では無いのだけれど、なぜかどうも気になる石巻市の復興計画。昨夜、Twitterでフォローしている方のリンクで『「石巻市震災復興基本計画(素案)」に対する意見提出手続(ハ繧噬t繧刄潟bクコメント) の結果と御意見・御提言に対する石巻市の考え方』なる文書を知り、即読んでみました。

震災復興/石巻市震災復興基本計画(素案)のパブリックコメント結果

復興期本計画の素案にはいろんな意見が出るのはおかしくありませんし、質問の内容が問題なのではありません。その質問に対する「回答」のようでそうでもない「市の考え方」なる文章の方です。

そもそもこれは、「石巻市震災復興基本計画(素案)」」なるものに対するパブリックコメントを募集したもの(石巻市のこちらのページからは募集の日程のみで、受付方法などの元の文書は見られなくなっています)のようです。

内容を読んでみますと、100余りの集まったコメントに1つ1つに対して、表現は気を使って丁寧にお応えいただいているかのようにも見えますが、どうも釈然としない。どうしてなのかとつらつら考えているうちに私なりの結論に達しました。

「御意見をお寄せいただきたい」と言って集めておきながら、「検討してまいります」「参考にさせていただきます」と、優等生的な言葉を交えつつ、結局は言い回しを変えると「素案にちゃんと書いてあるから読むように」という「考え方」が大半なのです。素案の引用が多すぎます。そんなやりとりを読まされて、しかもそれは市からの「回答」ではなく、市の「考え方」を発表しているのだというのです。何のことだかさっぱりわかりません。パブリックコメントってこんなものなのでしょうか。これ、やはりなにかの儀式ですか?とりあえず聞いてみましたということですね。

しかも、後から他の方に指摘を受けて驚いたのは、震災後の人口流出が激しい石巻市とはいえ、まだまだ10万人以上の人口がありながら、今回のパブリックコメントの応募数は「12人、1団体、3企業」だったことです。最初に御紹介したページにちゃんと書いてありました。これ、パブリックと言えるのでしょうか。計画策定上の手続きとしてパブリックコメントが必要なのだけれど、あまりコメントしてもらいたくなかったので、ひっそりやったのではないか?と糾弾されても仕方のないような結果であります。せめて「これからもどしどし御意見を!」といったアピールがあるなら別です。それにつけてもこの「考え方」という言葉の意味するところは、いったいなんなのでしょう。

参考までに、素案なるものはこちらにありますが、PDFがいくつかに別れており、量が多くて私自身も全部目を通していません。長くて読みたくなくなるような文章です。
震災復興/石巻市

よくできた基本計画の文書も、素晴らしい言葉が並んでいますが、現実を思うと空々しく感じます。よそにもありがちな都市計画に、そんなことできるのか?という気持ちと、え縲怩アこでそんなことするの?あっちの地区はいったいどうなってんだ?なとなど、いろんな気持ちが入り交じります。どうも復興計画を進める方法として問題があるような気がしています。1つの復興計画で全てをカバーできるほど、市内は一様ではありません。多くの町が合併しているのでなおさらです。この基本計画が決まったら次はどのようなステップが始まるのでしょう。なんだかんだ言わせても、あくまで最初の「たたき台」発のゾーニング計画でやっつけの都市計画になるのでしょうか。

時間だけかけて震災前の平時の審議会のような物事の進めかたではいかんと思うのです。個人や企業の活動とは違い、都市計画は行政が決めることですし、進み始めたらなかなか後戻りできません。とにかくなんとか希望のもてる良い方向に進んでもらいたい。やはりもっと多くの助っ人が必要ではないかと思います。しかし…だったらどうすりゃいいんだよ!と言われると何も言えないわけで、私の中のモヤモヤはますます深まるばかりであります。

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このページは、raizoが2011年12月 8日に書いたブログ記事です。

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