禿山さん(21):アララギ第4巻第3号(その2)

| コメント(0)

 鉛 筆
                     湯禿山稿
「君は相かはらず十九世紀式だなあ」
とは久しぶりに逢った友の、吾面をみるや否や冷やかした言葉だ。といつた丈では勿論何人にも明る筈はないが、其は僕の耳に挿んだ鉛筆をみてのことである。
「アゝ今更廢(よ)されもせまいじやないか」
が差向の答ではあつたが、よすともよさぬとも無意識で常に鉛筆を耳にするのである、僕を物色する言葉の中には頭の禿げたこと、顔色の蒼白いこと、耳に鉛筆の挿むであること、は必ず個條書になることだ、とは此も友の語の中にみえた言葉だ、

今其鉛筆の歴史を語るといつて、今挿で居る鉛筆其物に何の意味も歴史もあるのではない、が今から二十年も前のことだ、時は明治つと、年號迄は云わぬでもよいが、二十二三年ごろに、四角なゴムを銀色の挿み金にはめたのを鉛筆の尻に附けることが流行つた時代がある、今も東京にはあるあも知れぬ、其頃天晴氣取つた積で、今風な言葉でいつたらハイカツタ積で其鉛筆を耳に挟んで、肩を聳かして大手を振って大道せましと濶歩したものだ。考へて其れには多少の同期があつた、其頃盛に讀まれた普國の鐵血宰相「ビスマルク」の傳記の中に、ビ公が一種異様な鉛筆を持つて、其不器用な土龍(もぐらもち)みた様な手附で物を書くことが、時めく宰相のことゝて一種の名物となつて、其鉛筆を紀念に請求するものもあれば、或は置き忘れたものを私かに貰つて大に喜んだといふ様なことがあつて、ビ公もさる物、態々置き忘れて人に取らすることから一週何ダースといふ鉛筆を使つたといふ様なことを讀んだこともあつて、一面ハイカルと同時に鉛筆で名物にしよう.........多少ビス公に私淑した意味もあつたかも知れないと、いふ様な歴史がある。餘り面白くない歴史だが、癖といふものは妙なイヤ恐ろしいものだ、始は有意的にやつたことで、邪魔になつたのが、今では年が老いて、何の野心も毛頭ないは勿論、鉛筆が耳にあることが苦にならないは愚か無い方が寧ろ苦になる、其鉛筆を忘れて出勤のこ歸りをして耳に挟むことも折々ある、偶ま挟むことを忘れて友人間へ出ると、今日は雨が降るぞ禿山の耳に鉛筆がない、など冷やかされることもある、のみならず筆を以て生命とする新聞の記者から、時に君鉛筆をかしてくれ、など請求せらるゝこともある位だ、嗚呼其鉛筆無意識に耳に挟む鉛筆を、「相かはらず十九世紀式だ」と冷かされた其言葉に過去を顧て多少の感慨なき能はずだ、英書を携へて「プロフエツサー」を氣取つて某私立學校に通つたことも、二十二三年頃のことであつだ、亞米利加へおし渡つて天晴學者となつて誇つてやろうと思つたも其頃だ、食ふに困って食客となった迄は止を得ないが、主人の細君を説が合はなくつて?、某大學生と共に追放を食つたのも其頃だ、某英文雑誌に吾が鉛筆で書いてやつた鴬といふ短文が載せられたので一廉の英學者を氣取つたのも其頃だ、チト頭を使ひ過ぎて途上に行き倒れになつて神田警察署の厄介になつだのも其頃で、下宿屋の樓上に寢て伸いて居た時、友が元氣を回復せしめ様と思つての行為からちぬの浦浪六の作つた、三日月の治郎吉といふ小説をかしてくれたのも其頃だ、鉛筆を執つて
 覺め來れば枕頭の治郎吉も亦病魔退治助太刀に立ちくれ候事感謝に堪へず......
といふ様な文句の禮狀を發したことも朧ろけに記憶がある、又其頃「ドクトル、シダー、ビル」の匿名の下に早稲田文學で「シエクスピーヤ」の院本を抗議した逍遥博士の批評をやつて得意になつて居た杉村君、今の東京朝日新聞の楚人冠君一流の人物がヤンチヤン仲間であつた。其れからそれと記憶を辿れば限りもないが、それやこれやの奥に深く潜んでビス以外の動機は今語るに忍びない失望を以て充たされた若い日野もゆる......其耳鉛筆時代の境遇と、今の鉛筆時代の境遇!!下級團禮の小官吏となつて、人の鼻息を窺つて居る其れの時代と比べて見れば隔世の思なきを得ない、今では何の野心も燃えないが、さて其境遇.........只執るところの職が教育といふ神聖の職である丈が鉛筆に對するせめてもの面目である。

          ☆☆☆

「禿山さん」が長らく止まっていたのは、このエッセイの入力が面倒だったことが大いに関係している。入力しながら読んでみると若い頃のやんちゃぶりを振り返る文である。「十九世紀的」というところが明治の男らしくてイイなぁ。

コメントする

アーカイブ

子規の一句

花一つ一つ虻もつ葵かな

くものす洞広告

このブログ記事について

このページは、raizoが2014年10月30日に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「ほぼ日の「あたり茶」は思いのほか美味しかった。」です。

次のブログ記事は「Mac用ハイレゾ再生アプリ「Audirvana Plus 2.0」にしてみた。」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。