先日Eテレで、著者の安東さんへのインタビュー番組を観る機会があり、この本が考えていた内容とはずいぶん違うらしいと気づき、いまごろやっと読み始めたのでした。
著者の安東さんは、広島市出身。ご主人と共に震災前にいわき市に移住してきた方です。東京電力福島第一原発の事故の後、フクシマにおいて放射能という目に見えないモノと折り合って暮らしていくことができるのか。
避難指定解除区域で民間レベルで勉強会を開いたり、実際に線量を測定する活動を続けながら、ふるさとで暮らし続ける人たちに寄り添う活動を続けてこられたこれまでを振り返る内容です。
目に見えない放射能に暮らしている環境を破壊されてしまった中で、科学的知見に基づいて対応するだけでなく、線量を計測して記録することで、単純に線引きして判断するのではなく、住民それぞれがその数値を理解し、放射能との気持ちに折り合いをつけて暮らす…
決して解決にはならないのだけれど、区域や線量の線引きだけでは解決できない住民の皆さんそれぞれの気持ちの整理が、私にも少し理解できたように感じました。
途中「チェルノブイリの祈り」の本や、登場する消防士のエピソードなどが何度も登場します。私もノーベル賞受賞の際に読みましたが、チェルノブイリの原発事故について、原発近くに住んでいたベラルーシの普通の人々が感じたことを記録した文章としてすごい本でした。それに近いことが日本でも起きている(現在進行形)ということを、改めて感じさせられます。
スベトラーナ・アレクシエービッチ「チェルノブイリの祈り―未来の物語」 - now and then
最後の方に復興の成功者という言葉が出てきてハッとしました。復興が成功したという意味ではなく、震災の後に復興がらみでメディアで活動が大きく取り上げられ、称賛されてきた人たちのことを差すのです。筆者の安東さんが、自分が復興の成功者の側になって注目を浴びる反面、帰宅困難区域に住んでいた人たちはどんどん忘れ去られていくことを心配するシーンも出てきました。
復興が進んだとは言うけれど、それも千差万別、いろんな人がたくさんいて、気持ちもいろいろで、メディアに露出するのはほんの一部で、私も何にもわかっていないわけで、ましてや現在進行形の福島にあっては、せめて関心を持ち続けることくらいはしなくてはと思った読後でありました。
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