さて世界的ヒットとなった"When Will I See You Again"(邦題:天使のささやき)については、こんなエピソードも。
Kenny Gambleがピアノでこの曲を弾いて聴かせたとき、シェイラは「こんなの絶対歌わないわよ!」と言って腹を立てたらしい。誰でも歌えるようなこんな単純な曲を歌わせるなんて、とんでもなく失礼だと思ったからだそうだ。でも彼は私よりも良く分かってたのね…と、シェイラが振り返っている。どこかの日本語サイトにもこのエピソードが出ていたが、ここがネタ元だったか。→When Will I See You Again - Wikipedia
そんなシェイラは時々「ガハハッ」と笑っているし、若い頃もちょっと大ざっぱな感じ。かわいいドレスなどはあまり似合わない。私はそういうところが「面白い」と思うが、男性はやはり色っぽいところに魅かれるのだろう。
ヴァレリーは、以前のガールポップ時代はリードが多かったのだが、PIR時代以降はシェイラにその座を奪われたところもあるのだが、リードではないときも私も居るわよと(対抗心もあるのか?)ハツラツと歌っている様子が印象的。負けん気が強そう。
フェイエットには謎の魅力があって、かわいらしさは一番(個人の感想です)ではないか。衣裳も何を着ても似合っている。たまーにソロで歌っているのを見つけるとうれしくなる。歌っているときは感情が入りすぎではないかと感じることも。妙にうれしそうでハイテンションな時もある。きっとチャーミングな人なのだろう。
個性はバラバラ、声質もそれぞれ違うのだけれど「力強いユニゾン」が心地よく、やはり3人いてこそのハーモニーが肝だ。
YouTubeではBBCで16年前に放送された、ディグリーズの特集番組も見た。これもまた興味深かった。
he Three Degrees “Be My Baby”, documentary about The Girl Group Story [2006].
英語なので細かいニュアンスは分からないけれど…
マネージャーの、リチャード・バレットについては…
まだ17歳だった彼女達の保護者代わりになって営業をしていた。
ブレイク前は、儲かるキャバレーやナイトクラブで営業させていた。
規律も修業(?)も厳しく、彼女達をイチからたたき込んでいた。
かんしゃくを起こすと手に負えないので、彼女達は常に気を使っていた。
あーそうだったんだ。その他…
あのボリュームのあるヘアスタイルはやっぱりウィッグだったんだ…とか。
当時、歌詞がフェミニストからバッシングがあったけれど、その当時は美しい歌詞だと思っていたし、自分でも好きで歌っていた…とか。
エンゲルベルト・フンパーディンクと一緒にツアーをまわった時代もあり、そういったショーマン達のラスベガスやナイトクラブなどのショー体験は、お金では変えないほどの経験だった(シェイラ談)…とか。
シェイラはバレット氏のことを「My First Lover」だったと言い切って、常にメンバーとバレット氏の間に立ち、両方をハッピーにしようと努力してきたけれど、その関係はひどくなり、1981年にグループはバレット氏をクビにした…と言っている。(その数年後、シェイラも脱退するのだけれど。)
ディグリーズ、ヨーロッパや日本では人気があったけれど、本国アメリカではあまりパッとしなかったのは、国内ツアーをしなかったからだ…という記述をどこかで読んだが、それもこれもバレット氏の采配なのだろうし、そういう強権的なバレット氏のマネージが、当時としてもすでに時代遅れの感があり、米国内ではそういった面が足を引っ張っていたのではないか。
ヨーロッパでも日本でも、ディスコブームにのってヒットという面もあったにはあったが、ナイトクラブ芸というか、その種のパフォーマンスを初めて目の当たりにしてみんな熱を上げた…というところもありそうだ。
最初のアルバムから曲がヒットしたのに、日本のレコード会社がジリジリするほど次のレコードが出なかったのは、バレット氏が海外のどさ回りを優先していたからとも思われるし、せっかくのフィリーサウンドでG&Hのプロデュースだったのに、2枚目からはバレット氏がプロデュースに口出しするようになり、結局次は別レーベルに行ってしまう。それもこれもバレット氏。マネージャーのはずなのに、コンサートの時はなぜかバンドの指揮棒も振っている。
それにしても、知れば知るほど「女の子達にじゃんじゃん稼がせる」…というバレット氏の剛腕ぶりが目に浮かぶようである。
そして次回こそ総括して最終回とする。(つづく)
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