今日はもちろん東日本大震災から1年の日。もう数日前から震災関連番組やら新聞の震災特集など、世の中は震災一色になりましたが、それもまた今日までということになるのでしょうか。いや、そうでないことを祈りたいと思います。まだまだこれからです。特にフクシマは、本当に大変なコトです。放射能をなんとかしてくれ!です。除染してもそれは放射能が移動するだけ…という現実には、本当に人間の操る科学の無力さ(いや脅威でしょうか?)も思い知らされます。なんとか解決策が見えてきますように…。
Ishinomakiのブログ記事 22 / 25
本日石巻から東京に帰ってきました。帰りは小牛田まわりの石巻線経由で仙台まで行きましたが、待ち時間があったので駅前の「ロマン海遊21」をのぞいてみました。石巻の物産館です。
ここで他の和菓子と一緒に並んでいたのが「ちゃきん」です。これはお寿司ではなくて和菓子。もちろん私はこのお菓子は食べたことはあるのですが、あれ、これ「石巻名産」って書いてある…。ここで初めて「ちゃきん」が石巻のローカルお菓子だったことを知りました。最近こういうこと多いです。
私が帰省する際には欠かせないJR仙石線。東日本大震災で津波で線路が流出。現在も高城町縲恂軏{間が普通のままで、その区間は代行バス。矢本縲恊ホ巻間は、これまで電車でしたが、ディーゼルカーが走っています。仙石線を使って仙台から石巻に行こうとすると、松島海岸で代行バスに乗り換え、矢本でディーゼルカーに乗り替えるという面倒なことになりますので、石巻に直行する場合は、バス利用が主流になっています。
その仙石線、このところ鉄道本を立て続けに読んだこともあり、いつまでほおっておくのかと思っていましたら、今日はこんなニュースが飛び込んで来ました。
本日より石巻に帰省。駅に着いて、そのまま「ふれあい商店街」に寄ってみました。古い世代には懐かしい、旧エンドーチェーンの跡地です。
通りから時々この仮設商店街の入口で立ち止まり、写真だけ撮って立ち去る人を何人か見かけました。中にも寄ってってよ縲怩ニ思いつつ...
今日は石巻へ帰省しております。先日壊れてしまった実家のADSLモデム。実家に帰ったところ、OCN(実際はイーアクセス)から届いたADSLのモデム(連絡の翌日には到着)の箱が待ち構えておりまして、さっそく交換作業となりました。
昨日、石巻のくみこさん(母)のケータイのメールから、パソコンが調子悪いという連絡がありました。電話で話をきいてみたところ、インターネットが開けなくなったとのこと。
以前もこのようなことは何度かありまして、インターネットができなくなったら、黒い機械(ADSLのモデム)と白い機械(AirMac Express)の電源を一度切って、黒→白→パソコンの順番でスイッチを入れるようにとメモも置いてきてあるのですが、それはすでに何度もやったけどダメだったようです。
今日は帰りに牛乳があるかなとコンビニによりましたがありませんでした。あいかわらず東京のコンビニも品薄です。そして、パンの棚に並ぶヤマザキパンを見ると、配給のパンを連想してしまいました。
私が行った頃は、町内会を通じて自宅避難者へも配給があり、町内会の役員が、地区の公民館に物資を受け取りに行き、それを1件ずつ配っていました。1日でヤマザキの菓子パン2縲怩R個+おにぎり1個というところでしょうか。
大きな余震の翌日の昨日、石巻の実家では朝には電気が復帰し、それと同時にソフトバンクの携帯電話も利用可能になり、夕方には水も出たそうです。不自由な生活ではありますが、まだまだ恵まれているほうですね。全国各地から電気・ガス・水道・電話の作業員の方々が派遣されています。現地でもたくさんの他府県ナンバーの作業車を見かけますが、みなさん、どこで寝泊まりしているのでしょう…。地元の作業員の皆様も含め、復旧に尽力されている多くの方々感謝しなくては。
さて、前回の続きです。
石巻の臨時パス停留所から、住吉地区縲恬ァ町・中央地区(いわゆる「まち」と言っていた地域)縲恣垬a山地区を目指して歩き出しました。
昨夜の地震、東京でもかなり揺れました。石巻市でも、震度計が壊れてしまって震度が測定できなかったという話も聞きました。
くみこさんとは1晩連絡できませんでしたが、知人のDoCoMoの携帯電話を借りて無事の連絡がありました。せっかく復活してきたインフラも、また0に戻ったようですが、朝になって電気とソフトバンクの電波は復帰。固定電話も昨日復活したのですが、今は発信のみで受信はできない状態だそうです。どちらかというと今回は女川原発が心配ですね…。