仙台にある東北学院大学の社会学の研究の一環として、学生さん達が各地を回り、エスノグラフィーという文化人類学的な手法を応用し、多様な職業・階層・年齢・性別の人々に、当時の行動を文章にしてもらった記録集です。体験談を集めるというよりも、「記録を残す」という観点で、調査者が聞き書きしたものではなく、体験された方々自らの文が収められています。
まずは大学の地元でもある宮城県からスタート。石巻の話の中には、実家近くでの話もあり、妙にリアルに感じられて複雑な気持ちになりました。
もちろん岩手県・福島県などの直接の被災地だけでなく、内陸の山崩れがあった地域、仙台などの都市での様子、新幹線に閉じ込められた人、東京ディズニーランドでの体験…など、ほんとうに様々な立場にあった人の文章を一度に読むことができました。ここが他の体験談本とは一線を画しているところです。
新聞やテレビなどのマスコミも含め、体験談的なものは、結局ジャーナリストやライターさんのフィルターを通したものになり、その体験談の選択の仕方では、どこかこう方向性を誘導されているように感じることも時々あります。ストーリーが感じられるものというのでしょうか、読み手を意識しているというのでしょうか。美談にしろ辛い体験談にしろ…です。
この本も、タイトルに「慟哭」の文字がデカデカとあるので。これもよくある体験談的なものなのだろう…という先入観を持っていたのですが、通して読み終わってみると、少し違った印象を持ちました。
当時どんな行動を取ったのか、そしてその後数か月、どうやって過ごしてきたのか…というところが基本ですが、あまり取り上げられなかった立ち場の人たちの話もありまして、いわゆる「被災者」というイメージではない方も含まれています。
個人的には、自分の実家がある石巻を中心とした宮城県内の体験談などは読みましたが、福島の原発から避難した方々の話は、活字ではあまり読んたことがありませんでしたので、あらためていつ終わるともわからない放射能汚染との戦いの虚しさも感じました。放射能の事も、東京でもあんなに騒いでいたけれど、喉元をすぎればもう他所事ですものね。頭のなかでは知っているつもりでも、当事者の方々の文を読むと、それぞれの思いがあるのだということが伝わって来ます。
そしてなによりも印象的だったのは「人間の嫌なところもたくさん見た」という人も少なくなかったこと。噂ではチラホラと聞いていましたが、特に震災後はそういったネガティブな話は、マスコミのフィルターもあって、表にはなかなか出て来なかったわけですね。これも「記録」として書いているからこそ出てくることなのでしょう。
しかし、この本の趣旨は、そういった個々のストーリーを評価することではありません。いろいろな立場の人たちの様々な体験を「記録する」ということが本来の目的です(よね?)。それを読み手がどう受け止めるのかがポイント。私も、通して読むことで、霧の中ではありますが、薄ぼんやりとした今回の震災の全体像をチラリとかいま見ることができたような気がします。「それぞれに『きづき』を持って欲しい」と後書きで記されている編者の金菱先生の狙いは、そんなところにあるのかもしれません。
ただ…この本の取り組みはとても良いことだと思いましたし、良い本だと思いましたが、個人的には本のタイトルや帯文が、本来のこの取り組みの主旨とズレているような気がしたのが少し残念でした。
コメントする