9月末の石巻帰省時の写真をflickrにアップしました。先日のネット復旧と地デジテレビセットの次の日は、くみこさんの携帯電話の機種変更という重要なミッションがあり、らくらくホンの予定だったものを、店頭で急遽方針変更して普通の携帯電話にしました。らくらくホン系はPCサイトブラウザが使えないんですね。知りませんでした。今回はテクノロジー系支援(?)中心となりました。
合間に近所を歩いてきたわけですが、震災後はじめて雲雀野海岸や西光寺のところまで歩いてみました。いままでは、なんだかいろいろ考えてちょっと遠慮してしまい、先に進めなかったのです。気になっていた門脇のお地蔵様の無事も自分の目で確認できて、ちょっとジーンとしてしまいました。
大手町から元熊谷商店に向かう坂を下り、門脇郵便局のあったあたりへ。トタンがバタバタして心配だった元ささき書店前の倉庫も、やっと取り壊しが始まっていました。
噂に聞いていた、南浜町の冠水道路。ほんとうにボラが飛び跳ねていました。まわりが静かなので、ボラが飛び跳ねる音がピチャン、ピチャンと響いています。すぐ近くにはシラサギもいて、カラスと追いかけっこをしていました。魚を狙っているんですね。
かさ上げされた八間道路沿いには電柱が立ち、宮城観光タクシーのあった交差点では、信号機を取り付ける工事をしていました。工事車両用ですかねぇ。この調子ですと、そろそろ街灯もつくのかなぁ。
その交差点を曲がり、同じくかさ上げされた雲雀野海岸への道を歩き、お稲荷さんの跡、濡仏さんの跡を通過。お稲荷さんのキツネは残っていますが、濡仏さんは土台だけです。
雲雀野公園は瓦礫の山になっていて、海岸沿いの道路にも電柱と電線が立っていました。ここは工業港方面に抜ける車で交通量が意外と多い。海岸の堤防の向こうをちょっとのぞいてみたら、地盤沈下のため、砂浜はほとんどなくなっていました。堤防の向こうは防波ブロックですぐ海でした。海岸近くの気に入っていた並木、遠くからもなんとなく見えていたのですが、やはり残っていました。
門脇方面へ戻り、お地蔵様のあった場所へ。目印のブロック塀が少し残っていて、お地蔵様もなんとか残っていました。向きは変わっていたので一度どこかに流されたのかもしれませんね。これからも門脇を守ってもらわないと。
以前の様子はこちら。
門脇のお地蔵さん | Flickr - Photo Sharing!
歩いている間出会ったのは、工事関係者(取り壊しが主)を除くと、ピースボートのボランティアを乗せた大型バス(被災地見学か)、タクシー(これも見学者らしい)、乗用車できていた若い人3人(門脇小学校を撮影中)、1人でお稲荷さんの近くを歩いていた杖をついたおじいさん、西光寺前でぼう然としていたおじさん…といったところ。そして山の下で無事だったお宅の子供たちが、空き地を自転車で走り回っていました。見通しが良いので数少ない人影目立ちますね。私がウロチョロしていたのも、上から見ている人がいたかな。
かつての町並みが、瓦礫も撤去されてこうもさっぱりとしてしまうと、これまでのことが夢だったような逆の感覚にも陥ります。あんなにいろんな建物があったのに…。この見通しの良い広い原っぱをみて、昔の門脇村はこんな眺めだったのだろうかと思ったり。
かなり手前の道まで冠水していますし、土地が昔の湿地に戻ろうとしているような気がしました。雲雀野海岸も、震災前から砂浜が後退しており、そのために少し沖に防波ブロックが並んでいましたが、そもそも砂浜が防波堤より後ろに後退しようとしていたわけです。なんと言うか、自然が地震1つで100年程前の元の地形に一気に戻してしまったのですね。個人的には、復興プランも、構築物に頼るようなやりかたは、あまり良くないのではないかと思いました。
今回歩いて考えた私の勝手な復興プランはこんな感じです。
本当は日和大橋をとっぱらいたいところですが、そうはいかないと思いますので、雲雀野海岸の瓦礫撤去が終了したら、日和大橋から工業港に向かう海岸沿いの道路はマイアミのような高架の道路にして、防波堤を撤去して海岸線を後退させ、砂浜を自然に復活させます。(でもすぐ先に日本製紙の敷地があるので、無理なのは分かってますよ)文化センターも市立病院も無くなるのであれば、河口の東側には無理に防波堤を作らず、右側の灯台への道も壊して灯台だけにします。川から流れてくる砂が右側に流れやすくするのです。砂浜の後ろには松林帯とも思いましたが、冠水している地域は思い切って汽水の湿地帯に戻せば、野鳥が集まってくるので、汽水が沁みてくるところに盛り土して妙に人工的な花壇のような植栽をするよりも、自然公園的にいい感じになるのではないか…と。
門脇小学校は、もし無くなってしまうのであれば、跡地に立派なコンサートホールでも建ててくれないかなぁ。緊急時はすぐに山に逃げればいいので安全も確保しやすいし。どうでしょう。石巻も全国的に有名になったので、当分はいろんなヒト達を呼ぶことができると思いますっ。
な縲怩ト、以上が私の「妄想」でした。
今回のアルバムはこちら。
石巻のアルバム2011年9月 - a set on Flickr
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