その「中動態」というのは、「能動態」でもない「受動態」でもない「態」なのだとか。「する」と「される」ほ外側の世界への旅…たそうです。もうすでに難解です。これがわかりやすく解説されているというわけでもなく、「意思と責任の考古学」とある通り、言葉の考古学のような様相も呈しながら論が進んでいく内容でした。
「自動詞」とか「副詞」とか、学生時代以来考えたこともなかったので、iPhoneの辞書で意味を確認しながら読んだりもしました。文法の話になるとは思ってもいませんでした。
ギリシャ語、ラテン語、アレント、デリダ、ハイデッガー、ドゥルーズ、スピノザ…もう全くの苦手エリアの展開ではあるのですが、不思議とちょっと興味深い内容でありまして、なんとか最後まで読むことが出来ました。
その最後には、自由ではいられないわれわれだけれど、「自由」と「強制」の間を行き来する中動態の世界で、少しでも「自由」へ近づくように、思考様式をあらためる必要がある…という結末に、やっと「中動態」の正体がぼんやりとイメージできたような気がしました。
少し難しかったけれど、確かにどこか一味違う本だったように思います。これからは中動態を意識する新しい自分になれそうです。
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