フンころがしの生物多様性 自然学の風景 塚本珪一 青土社 2010-08-25 by G-Tools |
これまでのふんちゅう本に比べると、少し内容が堅く感じました。「生物多様性」を語ろうとすると少し難しくなってしまうのかもしれませんね。以前の著書の話も何度かでてきますので、これはやはりシリーズ(?)で読むのが良いと思います。
最初に塚本先生が出された「日本糞虫記」が出版されてから15年あまり経過していますが、その間にもずいぶん環境が変わっているように感じました。生物を「保護する」といっても、実際はその生物が住む環境やエサ、食物連鎖などのサイクルが成り立たないとできない話。この本の主人公でもあるフンチュウに至っては、死体や排泄物を分解するのが仕事ですから、今の時代(特に日本では)に働く場が狭められているわけです。この本の中でもその話が何度も出てきます。
そうか、こういうことだったのか...というよりは、「生物多様性」っていったいなんなのだ!という気持ちの方が強くなりました。
フンチュウに興味をもって歩いてみると、東京の街中にはもうワンちゃんやらネコちゃん(まだタヌキやハクビシンなどもいるにはいますが...)の排泄物がメインディッシュとなるのでしょうが、それにしたって、どんどん飼い主さんたちのマナーが良くなっていて、落っことしていくモノも年々激減。井の頭公園の中でも、そうたくさん出会えるものではありません。動物の死体だってめったにあるものでもないし、彼らにとっては本当に厳しい時代ではないでしょうか。
動物の排泄物を分解するという、自然の中のサイクルとして重要な役割を負っていたはずなのに、その役割を果たす場がなくなってしまい、ほとんどの人にとってどうでもよいムシとして、ひっそりといなくなってしまうのだろうか...と寂しい気持ちになります。
極端な話、人間が増え過ぎていることが、生物多様性のバランスを崩している原因ではないかと思います。そんな人間に今さら何ができるというのでしょう。「生物多様性」なんてかっこ良さげに言いながらも、クーラーをガンガンきかせたマンションで、パソコン使ってネットサーフィンしたりするような便利な生活を、もう手放せなくなってしまっています。
国連さんが「生物多様性年」と言っているからといって、私たち一人一人がいったいどうすれば良いのか、どうも今一つわからないのでした。
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