塚本珪一「フンころがしの生物多様性 自然学の風景」

| コメント(0)
4791765656フンころがしの生物多様性 自然学の風景
塚本珪一
青土社 2010-08-25

by G-Tools
bk1で予約していたフンちゅう本最新刊「フンころがしの生物多様性 自然学の風景」が届きました。今年は国連の「生物多様性年」ということもあり、生物多様性にからめてのお話になっています。

これまでのふんちゅう本に比べると、少し内容が堅く感じました。「生物多様性」を語ろうとすると少し難しくなってしまうのかもしれませんね。以前の著書の話も何度かでてきますので、これはやはりシリーズ(?)で読むのが良いと思います。

最初に塚本先生が出された「日本糞虫記」が出版されてから15年あまり経過していますが、その間にもずいぶん環境が変わっているように感じました。生物を「保護する」といっても、実際はその生物が住む環境やエサ、食物連鎖などのサイクルが成り立たないとできない話。この本の主人公でもあるフンチュウに至っては、死体や排泄物を分解するのが仕事ですから、今の時代(特に日本では)に働く場が狭められているわけです。この本の中でもその話が何度も出てきます。

そうか、こういうことだったのか...というよりは、「生物多様性」っていったいなんなのだ!という気持ちの方が強くなりました。

フンチュウに興味をもって歩いてみると、東京の街中にはもうワンちゃんやらネコちゃん(まだタヌキやハクビシンなどもいるにはいますが...)の排泄物がメインディッシュとなるのでしょうが、それにしたって、どんどん飼い主さんたちのマナーが良くなっていて、落っことしていくモノも年々激減。井の頭公園の中でも、そうたくさん出会えるものではありません。動物の死体だってめったにあるものでもないし、彼らにとっては本当に厳しい時代ではないでしょうか。

動物の排泄物を分解するという、自然の中のサイクルとして重要な役割を負っていたはずなのに、その役割を果たす場がなくなってしまい、ほとんどの人にとってどうでもよいムシとして、ひっそりといなくなってしまうのだろうか...と寂しい気持ちになります。

極端な話、人間が増え過ぎていることが、生物多様性のバランスを崩している原因ではないかと思います。そんな人間に今さら何ができるというのでしょう。「生物多様性」なんてかっこ良さげに言いながらも、クーラーをガンガンきかせたマンションで、パソコン使ってネットサーフィンしたりするような便利な生活を、もう手放せなくなってしまっています。

国連さんが「生物多様性年」と言っているからといって、私たち一人一人がいったいどうすれば良いのか、どうも今一つわからないのでした。

 

コメントする

アーカイブ

子規の一句

花一つ一つ虻もつ葵かな

くものす洞広告

このブログ記事について

このページは、raizoが2010年8月29日に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「smartの付録「PORTER折りたたみスピーカー」」です。

次のブログ記事は「Evernote Storeでちょっぴり買い物。」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。