「蓼科日記 抄」メールを出すように電報を打つ時代。

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「蓼科日記」刊行会による「蓼科日記 抄」を読み終わりました。買ったときは知らなかったのですが、限定2500部の自費出版の本だったようです。この本の紹介については、私がつまらない文を書くより川本三郎さんの書評の方がスバラシイのでこちらをどうぞ。

今週の本棚:川本三郎・評 『蓼科日記 抄』=「蓼科日記」刊行会・編- 毎日jp(毎日新聞)

脚本家の野田高梧の信州蓼科にある別荘「雲呼荘(うんこそう)」に置かれた日記からの抜粋で、野田氏自身ばかりでなく、別荘を訪れた人も文を寄せています。シナリオを書くためにその度に何ヶ月か別荘にこもっていたそうなので、もっと小津安二郎の文もたくさん収録されているのかと思いきや、割合としては意外と少なくて少し残念でした。ただし、書かれた全ての文と絵は収録しているのだそうです。

たくさんの関係者が入れ替わり立ち代わり別荘を訪れます。松竹の人、映画関係者、親戚などなと。なので人の名前が全然わからなくなりますが、まあわからなくても良いのです。それぞれがすっかり信州蓼科での高原の生活を満喫し、飲んで食べて昼寝して散歩して…。

野田&小津コンビも、別荘の管理をしてくれる地元の方との交流や、毎日のように行く蓼科ミルクという茶店、テレビの相撲中継を見たいときはホテルに行くなど、別荘生活をまさに満喫していて、読んでいるこちらがなんともうらやましくなるぐらいです。集まっている仲間達との話もとても楽しそう。小津が「日々是(これ)好日」と記したのも、本当に心からのものだったのでしょう。

別荘を訪れる人たちが、次々と美味しそうな手みやげをたくさんもってくるようで、食生活もなんとも楽しそうですし、本当はシナリオを書くという「仕事」があるのだけれど、野田&小津コンビのシナリオは、こんな毎日の中から生まれて来たのですね。

舞台は昭和30年代の話でして、連絡のために煩雑に電報が使われています。電報は文字が多いと値段も高くなるので、独特の言い回しで短くシンプルな電文のやりとり。「五ヒヒルマエウカガイマス」とか「ヒルノキシャニノッタ」とか、今で言うメールのような使い方が何とも面白く感じました。

そんな楽しい蓼科の生活も、小津が発病するころから雰囲気が少し変わってきます。最後の作品になった「秋刀魚の味」を書き上げた後のあたりからは、読んでいても「もうすぐだ」と思うと落ち着きません。小津は別荘に来ているときに腫れ物がわかり、急ぎ帰京して入院・手術をすることになったそうです。

この本の最後の日記は、小津の亡くなった年の大晦日。野田は「ろくなことのなかった三十八年よ、さァさァ早く逝ってしまえ!」と記したところで終わります。読み手である私にとってもなにやら悔しく、そしてその数年後に、小津や野田と交流の深かった佐田啓二(この日記の中にも何度も登場します)も、蓼科の別荘から帰る途中に交通事故で亡くなることになります。(巻末の解説にその経緯も触れられています)最後は複雑な思いで読み終えました。

映画の資料的価値というよりも、蓼科高原の楽しい日々の記録として、私も大変楽しく読ませていただきました。

※DVDは持っているのだけれど、デジタルリマスター版…気になるな。

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