卒業生として、門脇小学校をそのまま震災遺構にするのは反対です。

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石巻 20140726
(2014年7月26日撮影)
先週、ちょうど石巻にトンボ返りしている時に「石巻日日新聞」で、母校である石巻市立門脇小学校の校舎を震災遺構として保存するという記事を読みました。

こちらは石巻かほくの記事。
NEWS石巻かほく:門脇小の遺構価値を確認 石巻市震災伝承委 検討3ヵ所に絞る|メディア猫の目

東京発ではありますが、やはりここで繰り返し言わせていただきたい。あの火事で黒こげになった鉄筋校舎をそのまま保存することには、個人的にはやはり反対であります。

今日こちらの記事を読み、ますますその気持ちを固めております。

門脇小遺構化に住民組織反発 | 河北新報オンラインニュース

市民のアンケートを取ると、門小(=門脇小学校)を残すべき…となるのは当然でしょう。これからこの地区に住む住民は、市民全体の0.5%にも満たない数です。その大半の市民の方達にとっても、門小を見に来るということは、多くの石巻の外の人と同じく「見物」しに来ることではないかと思います。でも1度見に来れば充分ですから、果たして繰り返し訪れる人がいるのかも疑問でもあります。(あの地区は怖いから絶対行かないという人もまだいます。)

誰も言いたがらないけれど、市としてははっきり言って「観光スポット」なのではないですか?坂の上にある高校が、門小の校庭を授業や部活で使用するために、現在は白い覆いに包まれているということもあり、最近は観光バスもめっきり減っています。周辺を震災祈念公園としてきれいに整備したからといって、被災地観光の方々が震災直後の年ほど集まってくるとも思えません。これからどんどん減っていくでしょう。

ベールに包まれる前は、「中に入らないで下さい」という立て看板が建っていても、建物の中に入って写真を撮っている人、たくさんいました。しかもこれから徐々に劣化してきますので、ますます危険です。

門小のお隣には今も住んでいる方達がいますし、居住可能な地区ですので、これから戻ってくる予定の方もいらっしゃいます。

震災を忘れずにいようという人たちにとっては、何年かに1回来るかどうかのところですが、震災前の暮らしに戻りたい(坂の上に住んでいた私だってそう思いますよ)と願っている地区の人たちにとっては、多くの方々が亡くなっているということもあり、あのコゲた大きな校舎を毎日毎日見続けるのは、嫌な気持ちにならざるを得ません。いずれ「慣れる」というような問題ではないし、外の人たちのために、どうして被害を受けたこの地区の人たちが我慢しなくてはいけないのでしょうか。

車に乗ったままでも、海よりの南浜地区からもよく見えるという意味でも、シンボルとして良いという意味かもしれませんが、市長や委員の皆さんは毎日これを眺めたいですか?広島の平和記念公園は、まわりが公園ですからすぐ隣には人は住んでいないですよね。

残すなら玄関などの建物一部とか、記録写真などをまとめて「祈念公園」とやらにまとめてもらい、校庭の跡地で昔のように盆おどりや地区の運動会なんかができたほうがいいですよ。学校が廃校になって寂しいけれど、せめて私も遊んだ元校庭で子供たちに思いっきり遊んでもらいたい。私もここまで書いて涙目です。

ということで、私も「解体を望む」という意見を表明させていただきます。門脇地区だけでなく、少なくとも坂の上の門小学区の住民(もともと同じ門脇村です)の多くも、そう思っているはずです。

<追記>
明日の川開きで門脇小学校の最後の鼓笛隊パレードがあります。立町の七十七銀行の前で12:30分ごろ校歌を歌うそうです。これは想像しただけでもう泣きそうです。多くの卒業生が集まるといですね!

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このページは、raizoが2014年7月31日に書いたブログ記事です。

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