スーザン・サザード「ナガサキ」:帯文通りのこの上ない歴史書。

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出版されてすぐに、読みたいと思っていたのだけれど、夏はバタバタしていて落ち着いてからゆっくり…と思っているうちに時間が経ってしまい、著者のスーザン・サザードさんが来日すると聞いてやっと読み終えました。


その昔のきっかけはもう覚えていないのだけれど、広島・長崎の原爆のことについては、中高生の頃から関心があり、その頃から毎夏のNHK広島・長崎のドキュメンタリーは極力見るようにしてきました。私が高校生の頃に10フィート運動が始まっていて、そのフィルムの上映会も見に行きました。広島には行っていないけれど、若い頃、長崎の原爆記念館には行きました。オバマ大統領が広島の平和公園を訪問した時は、本当にスゴイことだと感激しました。

この本にも登場する、谷口稜曄さんのドキュメンリー番組も見たことがあります。身体的にはとても辛そうなのにも関わらす、ストイックに活動する姿は目力があって使命感が半端ではなく、とても印象的でした。

でも原爆のイメージとして広島が思い浮かび、長崎はこれまでどうしても2番手という印象。どこか日本人の心の中でも過小評価(という言い方は変かもしれませんが)されていたところがあったような気もします。

で、この本です。

著者はアメリカのノンフィククション作家、スーザン・サザードさん。高校生の頃に日本に留学し、訪れた修学旅行先の長崎で原爆のことを知り、その頃から関心を持ち続けてきたこと、そして前述の谷口稜曄さんのアメリカでの通訳を頼まれたことがこの本につながったそうです。

谷口さんをはじめとした長崎の原爆の語り部をされてきた5人の方の、原爆投下前からその後の人生を軸に、膨大な資料や聞き取り調査に基づいた、戦争と原爆投下を取り巻く日米の周辺事情、そして戦後の反核運動までがこの1冊になっています。内容は思いのほか資料的で、かなりの読み応えがあります。

著者がアメリカ人だったということで、アメリカ側の資料に基づくエピソードも多く、そこは日本人にはなかなかできないことだったかもしれません。それでも、文章から感じる登場する長崎の方々に対する眼差しは、思いやりが感じられ、とても翻訳モノを読んでいるようには思えませんでした。日本寄りというのではなく「長崎寄り」というのでしょうか。

終始、どうしてこれまで日本の誰かがこのような本を書けなかったのだろう…と思いながら読んだけれど、著者が何人であろうが、こうやって資料的価値の高い本が残され、さらにそれが日本語に訳されて私たちが読むことができるようになったのは素晴らしいことです。

そして、原爆から生き残った方のご苦労も大変なものですが、さらにその向こうに訳もわからないまま何万もの方々が苦しんで亡くなられたことも忘れてはいけないし、それがたった1発の爆弾で起きたことなのですからやはりやるせない。アメリカ側の言う「戦争を早く終わらせるため」に、敵国民間人を大量に殺してもいいのか。いや人数の問題ではないですよね。今もなお世界のあちこちで起きている紛争も、日本にいるとなんとなく関心も薄れてしまいがちだけれど、関心をもちづづけるだけでもしないといけないなと感じました。

ということで、核兵器や戦争について、久しぶりに深く考えされられる読書となりました。

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このページは、raizoが2019年11月19日に書いたブログ記事です。

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