里見〓(とん)伝―「馬鹿正直」の人生 小谷野 敦 中央公論新社 2008-12 by G-Tools |
小津安二郎の評伝を読んでいて、交友録の中によくこの里見弴が出てきます。私の中では小津の映画の原作者というイメージが強かった反面、文学者としてはあまり意識したことはありませんでした。古書店巡りの中で、著書は何冊か持っているのですが、実は全然読んでいない...というのが実情です。私にとって全く謎の小説家である里見弴について知ることができるなら...と読み始めました。
現在里見弴の小説は、ほとんどが絶版になっているため、新刊で手に入るのは岩波文庫の「極楽とんぼ」「文章の話」、講談社文芸文庫の「初舞台・彼岸花」ぐらいのようですが、実はたくさんの作品を書いているということを知りました。ただ、そのほとんどがまともに出版されていないのが実情で、彼の全作品を読んだのは、本人以外には著者も含めて3人ぐらいしかいないのでは...というぐらいなのだそうです。
とにかくこの評伝、里見の誕生から亡くなる頃までの期間(明治~大正~昭和!)について、丁寧にその行動と交友(特に志賀直哉との関係も興味深い...)、全ての作品について淡々と綴られています。あまりの単調さに、読み始め直後は退屈さも感じたのですが、裏を返せば著者の客観があまり入らないので、妙なフィルターなしに里見の生涯を知ることができます。
表紙の写真を見て、モテそうな顔立ち(ただ、かなり小柄でいらっしゃったうようですが...)だなぁ...と思いましたが、芸者遊びやお妾さんとの生活など、まさに奔放で、自分の思うままに生きているところが、まさにこの本のサブタイトルである「馬鹿正直」でもあるようです。
なによりもあとがき「トンよ、トン」のところで、著者が引用しているこの里見の言葉に最後の最後にグッときました。引用させていただきますと...
づるく立廻って攫(さら)ひ取る得より、正直であつたがためにみるばかの方を尊しとする精神なくして、どうして明るくあり得よう。肝心なのはこの精神だ。向日葵のやうに、おのづと明るい方へ顔の向く人間になりたいではないか。要領をつかひ、づるく立廻って得た得(とく)と、正直であったがために被った損との、公平無私なる総決算は、生涯のうちにたうとうつかずじまひに終わることもあらう。死後、五十年、百年、結局わけがわからなくなつて了ふ場合だってあり得よう。併し、そんなことはどうだつてかまはないぢやアないか。(以下省略)...この一文を読んで、ここまで長い評伝を読んできた意味がより理解できました。
こうなると次はもっときちんと里見弴の作品を読まないといいけないな...と腹をくくったところですが、読む前に古書店で里見本を探すことが楽しみになりつつある今日この頃であります。タイミング良く、吉祥寺のBASARA BOOKS で、絶版の岩波文庫(再版されたもの)を2セット(「今年竹」上下と「安城家の兄弟」上中下)みつけて購入。うれしいです。
初舞台・彼岸花―里見〓作品選 (講談社文芸文庫) 里見 〓 講談社 2003-05 by G-Tools |
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