すみません。なかなか平常モードに戻れないでおります。石巻へ行ってきた報告を…と思っているうちに1週間が過ぎてしまいました。(写真は、震災前の、日和大橋から見た日和山方面。真ん中よりの大きな建物が石巻市立病院です)
仕事から帰ってきても、ついついニュースやネットで現地情報を見て過ごしてしまい、おまけに夕食を食べるとすぐに眠たくなってしまうため、自分のブログどころでは無くなっています。こんなに休んだのは海外旅行をして以来だと思います。
ニュースとしては原発の方が大きな問題になっているのだけれど、それでも被災地のニュースは毎日流れますし、私の頭の中も開放されずにいます。実際に地震と津波を体験していない私がこんなことではいけませんね。
気を取り直して…
私は年に数回石巻に帰省しておりまして、時間があれば実家の庭の写真を撮ったり、近所を散歩して写真を撮ったりしていました。flickrのアルバムもいくつかありまして、今それを見ると、感傷的な気持ちになるのですが、ガレキの山になる以前にはこんな町だったということでご紹介させていただきます。
上の空き地は、門脇地区から日和山(大手町・南光町)地区に上がる坂の途中にありました。下の写真の左側に見えている茂みが、上の写真の奥の茂みです。ちょうどこの空き地のところまで波が押し寄せたようです。
上の建物は津波後も残っていましたが、この建物のすぐ先が下の状態です。上の写真の奥ではありません。手前です。
いつもくみこさんから、お墓の写真なんかやめなさい!って言われていたのですが、それでも、毎日学校に通うときに見ていた上の写真の風景には思い入れががありました。
震災後、石巻にバスで着き、実家から3縲鰀4キロ離れた臨時バス停から、浸水したヘドロだらけの町を歩き、途中まで迎えに来てくれたくみこさんと、家に行く前にこの坂の上に立ちました。このとき初めて、門脇・南浜地区の様子を目にしたのですが、想像はしていたのだけれど、悲痛な気持ちとはこういうことなんですね。泣きこそしませんでしたが、なにか胸に突き刺さるものがありました。
以前、実家の前は畑で、実家からは雲雀野公園(奥の海岸沿い)までの景色がいつも見えていました。今は、目の前に立派な家が建ち、もう実家からはほとんど見えなくなってしまったのだけれど、実家に帰るたび、家の近くの土手の上から町を眺めていました。今回実家に帰っている間も、毎日ここに立ちました。三陸の港町とは少し状況が違いますから、果たしてこの町がどこまで復活するのだろうかと漠然と考えながら…。
この地域一帯が全部海水に浸り、あちこちで火事になっていた津波直後に比べれば、私が行ったころは、ガレキの中に道もでき、車も通れるようになっていましたし、くみこさんから聞くと、近ごろは細い道も出来はじめ、少しずつこの光景も変化しているようです。
もうあれからそろそろ1ヶ月になろうとしている訳ですから、感傷的になるのは今日までにしたいと思います。まずは、石巻市内だけでも2万人近くいる避難所の皆さんの救済が最優先だと思います。私ももっと元気を出して、応援をしていきたいと思います。
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