津波直後の門脇地区の様子。

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Mar. 12 2011 @Ishinomaki, JAPAN石巻に帰ったときに、実家のご近所の方から、震災・津波直後の門脇地区の様子を携帯電話で撮影した画像をいただいてきましたので、こちらも公開させていただきます。多くの皆さんに見てもらいたいとおっしゃっていたのですが、すぐに公開できなくてごめんなさい!

携帯電話でみせてもらった日付は11日だったのですが、天候から察するところ、翌日のようです。
震災当日の石巻市門脇地区 - a set on Flickr

先日YouTubeで日和山から津波が来る様子を放映しているTVをとったビデオ映像(YouTube - 日和山から見た津波)を見ていたら、バックで警報のサイレンが響き渡っていました。

くみこさんは、何度尋ねても、警報もサイレンも聴こえなかったと言っていて、気が動転していて耳に入らなかったのかなと思っていました。でもよくよく聞いて見ると、最初の地震の直後にすぐ停電になってしまったとのことで、少なくとも門脇五丁目付近(くみこさんが地震の時点で居た地域)では、警報のサイレンが良く聞こえなかったのは本当かもしれないなと思いました。

くみこさんは、その後、自宅の様子が心配で、日和が丘の自宅に歩いて帰ったため、津波の被害を逃れることができました。家の中も、花瓶やガラスの置物がいくつか壊れてしまった程度で、家の中ではたいした被害はなかったそうです。何年か前の宮城北部地震の後に、ガラスにフィルムを貼ったり、倒れそうな家具はヒモで吊ったりして防衛していたのも良かったのかもしれませんが、宮城県沖地震の際も、やはり陶器の人形が壊れたぐらいの被害でしたので、そもそも地盤がしっかりしているのかもしれません。東京の私のアパートの方が、家の中についてはよっぽどヒドイ惨状でした。昔は田んぼだったところだと思うので、地盤が緩いのではないかと思います。

震災翌日に津波後散発して発生した、写真に写っている火事が丘の土手の下まで迫っため、2日目の夜はご近所の方と一緒に中学校に避難して1夜を過ごしたそうです。私も、津波のことも心配でしたが、火事で日和山地区にも避難命令が出たのはニュースで聞きました。震災後の衛星写真でわが家の赤茶の屋根が確認できた時は、くみこさんと連絡がとれる前でしたが、10%ぐらい安心しました。あそこにさえいてくれれば…と願うばかりでしたね。

避難所生活は1日だけで、自宅に戻ってきたくみこさん。その後は自宅避難者生活になります。電気が通じるまでの間は、バッテリーの尽きるまでMacに入れていた孫の写真や動画をiPhotoで眺めたりして気を紛らわせていたそうです。少しはMacも役にたったかな。

では、私も多少体験できた自宅避難の様子はまた次回に!

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