自宅避難生活を少し体験。(その1)

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石巻市内だけでも避難者生活の方がまだ15,000人以上はいるそうです。石巻は平成の大合併で、周辺の多くの町と合併し、その広さが仇となって今となっては復興への道筋も見えないほど市政も混乱しているようです。

合併する前だったら、雄勝町・鮎川町・牡鹿町・北上町…など、たとえ被害が大きくとも、それぞれの町で地元に応じた対応ができたのではないかと思うことしばし。釜石・陸前高田・南三陸町などの他の被害の大きい三陸沿岸の市町村に比べ、石巻市長の顔をあまりメディアで見ないことも気になります。

私が石巻に帰ってから、はや2週間になりました。写真は公開しましたが、実家での生活などを少し。

幸いなことに、うちは高台にありましたから、津波の直接の被害からは免れることができました。実家にいるくみこさんは、震災2日目に避難所に避難した以外は、ずっと自宅避難者生活を続けております。3月16日に電気が、22日に水道が復帰しましたが、以前固定電話と都市ガスは使えません。でもとても恵まれたほうで、家が残っている地域でも、インフラがなに1つ復帰していないところも多く、携帯電話だけがなんとか使えるといった状況です。水と電気が来ていれば、迷惑にならないだろうという判断の元、山形行きの飛行機のチケットが取れたので、3月24日から実家に帰ることにしたのでした。

ご近所の皆さんのご支援や、町内会経由で配られる配給と、先発隊の義弟が届けたものなどがありましたから、食料は足りているとのこと。実は14日から私が帰省する予定だったので、食べ物も比較的たくさん用意してあったのだとか。それも幸いしたようです。

持ってきて欲しい物を聞いたところ、いつも使っている市販の薬イロイロや現金を持ってきて欲しいとのことでした。ちなみに、いまでもくみこさんの足で歩いていける範囲でお金をおろせるところはありません。ドラッグストアも同様です。

始発の行列停電している地域も多いことですし、明るい時間に行動できるよう、前日に山形入りして山形に1泊。山形でも仙台からの買い出し客などもあり、地震の被害は少ないものの、コンビニやスーパーも物不足でした。翌朝、仙台行きの始発バスに乗って石巻に向かいました。山形交通のバスターミナルは、出発30分前で長蛇の列。大型バス3台目に乗りましたが、あと2台ぐらいは後ろに続いていたと思います。


仙台着。石巻行きのバスの列。130人目ぐらい。なんとか3台目か4台目に乗れそう仙台に着き、さくら野デパート前のミヤコーバスの石巻行きのバスの列に並びます。これも長蛇の列でしたが、バス会社の人が人数カウントをしていて、列のこのあたりは3台目に乗れますよと教えてくれたので、安心して並べました。ここでも大型バス5台分ぐらいはバスが出たようです。現在はバスも増便され、このときよりもずっと便利になっていると思いますが、逆に道が混雑しているそうです。


定刻より少し遅れて仙台を出発。途中、蛇田地区では、買い物(というより買い出し)に訪れているたくさんの人や車がいて、思っていたより賑わっていました。途中の道では特に混乱もなく、浸水の爪痕が残るバイパス道路を進んで、臨時停留所である石巻消防本部脇の空き地に着きました。

3/25 仙台縲恊ホ巻 ミヤコーバス停留所この空き地には、タクシーも数台おり、自衛隊の駐屯地のようになっていて、自衛隊の入浴サービスも実施中。遠くの避難所から大型バスがやってきて、避難者の皆さんがお風呂に入りにきていました。ここから自宅まで4キロ前後。底の厚いアウトドアブーツにマスクもしっかりして歩き始めました。(続く)

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このページは、raizoが2011年4月 7日に書いたブログ記事です。

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