自宅避難生活を少し体験。(その2)

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大きな余震の翌日の昨日、石巻の実家では朝には電気が復帰し、それと同時にソフトバンクの携帯電話も利用可能になり、夕方には水も出たそうです。不自由な生活ではありますが、まだまだ恵まれているほうですね。全国各地から電気・ガス・水道・電話の作業員の方々が派遣されています。現地でもたくさんの他府県ナンバーの作業車を見かけますが、みなさん、どこで寝泊まりしているのでしょう…。地元の作業員の皆様も含め、復旧に尽力されている多くの方々感謝しなくては。

さて、前回の続きです。

石巻の臨時パス停留所から、住吉地区縲恬ァ町・中央地区(いわゆる「まち」と言っていた地域)縲恣垬a山地区を目指して歩き出しました。

停留所のあった地域でも、泥水が引いた跡があり、多くの自衛隊の車や給水車もあり、と、普段とは違う様子ではありましたが、車は普通に通行しています。住吉地区に入ると、ヘドロの量が増え、各家庭やお店で、浸水したヘドロのかき出し作業などが行われていました。黒いヘドロとヘドロまみれになった多くの家財が歩道に山積み。歩道は歩けないので車道の端を歩きました。

立町・中央地区に入ると、ひっくり帰ったたくさんの車・陸に乗り上げた船、大きく崩れた建物などが急に増え、自衛隊や他府県ナンバーの重機やトラックが、町の片づけ作業を行っていました。商店街のお店も、各自が必死で泥だし作業。まだ水が出ていない地域ですから、泥だらけの作業も大変です。今は、多くのボランティアさんが片づけをしてくれたこともあり、「まち」のほとんどのガレキは撤去されたと聞いています。

「まち」では、あのお店はどうなっただろう…などとつい気になってしまい、フラフラしながら歩いていたため、心配して途中まで迎えにきてくれていたくみこさんに、さらに心配をかけてしまいましたが、旧市役所前で無事合流。一緒に自宅まで帰りました。

実家では、この時点で電気と水道が通じていましたので、なんとか暮らせる状況ではありましたが、ちょうど灯油の残りを心配しているところでした。うちは車は無いですから、ガソリンは無くても良いのですが、暖房用の灯油が無いと困ります。逆にうちはお風呂が灯油なので、灯油が確保されればお風呂に入ることもできます。

いつもお願いしていたお米屋さんは津波で流されてしまいましたが、私がいる間に別のお米屋さんに連絡が取れ、灯油も売ってもらうことができて一安心。なんとそのお米屋さん、無くなった祖母のことも知っていたので話が早く進み、母と「すがさん(祖母のこと)凄いね」と喜びあいました。お店のお得意さんの多くも流されてしまったので、今後ともよろしくとのこと。お店が無事ではあっても、商圏が狭くなってしまったので、商売を続けるのも大変です。

こんな具合で、実家の家は無事ではありましたが、病院・郵便局・銀行・スーパー・コンビニ・美容院・電気屋さん・米屋さん…等々、生活のほとんどを門脇地区に依存していたため、今後の生活に不安が残ります。足(車)がないので、遠くに買い物に行くことができません。せめて町側(中央地区)が早く復興してくれると良いのですが…
(つづく)

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このページは、raizoが2011年4月 9日に書いたブログ記事です。

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