震災の復興が特集だという岩波書店の『世界』の8月号を読みました。「人間の復興を!暮らしの復興を!」という大きな特集です。
個人的にどうも気になっていた高台移転について、関西学院大学の、室崎益輝氏の『「高台移転」は誤りだ 縲恂{当に現場の視点に立った復興構想を』という文が読みたかったのです。
震災後、早い段階から「高台移転」がもう絶対的なものとして語られていることに、個人的にどうも違和感を感じていました。あわてて住宅地として造成したような高台にいくぐらいだったら、仙台などの都会に近い地域に行った方が、仕事もあるしなんでも便利。かつての大津波の時とは時代が違いますし、小さな集落ではもう集落の消滅が始まっています。
宮崎氏は、海に立ち向かうことも必要なのではないか、防災ばかりでなく生活の視点ももっと重要視されるべきではないか、総論なしに事が進みすぎているのではないか、そしてきわめつけは「高台移転」の大前提があることによる、がれきの撤去の遅れ、延びるばかりの建築制限の期間、そして再建に向けて身動きできない住民。…などなど、他にもいろいろな提言があるのですが、個人的に共感できる部分の多いものでした。
他にも「現地発、復興論」として、石巻市議会議員の庄司慈明氏の復旧・復興についての文では、実際の難しさを感じました。
が、結局これだ!と思ったのは、東北大学の中静透氏の「生物多様性を生かした持続的地域再生を」でした。こんな非常時に「生物多様性」だなんてそんなのんきなこと…と思われる向きもあるかもしれませんし、中静氏も前置きでそんな風にもおっしゃっていましたが、こういった視点も必要なのではないかと思うのです。
福島の原発の話は別として、自然の大きな力の前に、人間の作った構築物が歯が立たなかった部分も多かったのは事実です。
阪神大震災のような都市型の災害とは、今回は確かに大きく違っていると思います。高台移転にしても、都市計画のコンサルタントに、きれいな復興図を書いてもらったはいいけれど、それぞれの地域の実情に必ずしも合わず、それが故に混乱も招いているようにも思います。
中静氏は、今回の被災地の多くが、海域及び沿岸域の生態系サービスに大きく依存した産業や生活、文化をもっていたと言っています。防災と称して、巨大な防波堤などの人工構築物を作ること、高台の宅地開発による土砂の流出など、自然の藻場やアマモ場の回復にも影響を与えてしまうかもしれない…とも。
三陸の港は別として、関東圏の液状化地域も含め、今回地震や津波に被害を受けた市街地は、湿地帯だったり埋め立てたりなど、近年宅地造成されたところが多いという印象を持っていました。そもそもが自然に逆らっていたのは人間の側です。海岸湿地化してしまった耕作地、干潟や自然海岸に近い形に再生してはどうかというアイディアもあり、思わず膝を打ってしまいました。もう人の住まないところに指定するなら、そのぐらい思いきってもらいたい!
都会であればきれいな都市計画で済むでしょうが、今回の復興は、もっと自然に寄り添った考え方も必要とされていると思います。人が都会に流れていく現状は、もう止められるものではありません。しかし今後、水産資源を守っていくことを考えるなら、都市計画的な視点ばかりでなく、このような生態系を考慮した視点も大切だと強く感じました。
これも意見の一つということで、賛否両論あると思いますが、興味のあるかたは是非読んでみてください!
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