毎日眺めているTwitterで作った自分の石巻リストのTL(タイムライン)。宮城&石巻つながりの方々をフォローしているわけですが、TLの中に石巻関連でリツイートされた湯川れい子さんのTweetが入ってきました。湯川れい子さんのアカウントは自分でもフォローしているのですが、通常のタイムラインの中では、Tweetの大河の中で見逃していたものです。
Twitter / @yukawareiko: 9月1日の夕方からは、石巻市の西光寺で...
湯川さんはもちろん作詞家であり音楽評論家でいらっしゃるわけですが、私の中では「全米TOP40」というラジオ番組のDJだったヒトとして深く心に刻まれております。
久しぶりにnow and then的なお話になりますが、私は中学生の頃から洋楽ファンでありまして、当時はFM番組をよく聴いておりました。FM FanなどのFMの番組表が載っている雑誌を買って、洋楽番組を主に聴いておりました。山下達郎や渋谷陽一のサウンドストリートを聴いていたのもこの頃です。
なにがきっかけかはよく覚えていないのですが、その頃、米国のBillboard誌のヒットチャート40位を毎週全部紹介してくれる「全米TOP40」という番組AMラジオの番組があるのを知りました。ビルボードのヒットチャートは、FM雑誌などでも何週か遅れてチェックはできるのですが、一刻も早くヒット曲を知りたい。当時はインターネットもないし、このラジオだけが情報源なのですが、いかんせんその番組は関東ローカルだった「ラジオ関東」(現:ラジオ日本)の番組でした。
しかしAMラジオというのは遠くてもなんとか聞こえたりするのが良いところ。北朝鮮やロシアの番組も聞こえたりしますよね。石巻の実家は、日和山の近くで丘の上にあり、当時は目の前は畑が広がっていたので海岸まで見通すことができました。南側(=東京方面)に向かって障害となるものが少ないので、雑音は入りますが、なんとかこの局の放送が聞こえることがわかりました。
この番組、土曜日の深夜1時から3時までで、次の日は日曜日で夜更かしはしやすいのですが、元来早寝の私にはこの夜更かしがなかなか難儀でありまして、眠いのを必死で耐えて聴いておりました。しょっちゅう途中で寝てしまったり、気がついたら全米1位の発表の後だったり、悪天候の日は電波状態が悪くてほとんど聞こえなかったりと、いろいろな苦難がありました。でも、たっぷりきける当時の全米チャートのヒット曲、湯川さんの解説、洋楽にまつわるいろいろなお話、苦難に耐えてでも楽しみに聴いていた番組でした。
「JORS1422 ラージオ関東笙ォ」というフレーズもよく覚えていますし、当時のスポンサーの「森永ラブ」ってどんなとこかな(宮城県にはありませんでしたから。今は東京にも無い。)と、いつも思っていました。東京のラジオをわざわざ聴いているんだぜーみたいな自己満足もあったのかな。田舎もんですね。
湯川さんが5月にも石巻に来ていたことは知っていましたが、実家に近い西光寺にいらっしゃると知って、そんな当時の思い出がドッと浮かんできました。湯川さんがうちの近くまで来るなんて、当時は全く想像できなかったなぁ。すご縲怩ュ遠いところの人だと思っていましたので。
あの番組なくして今の私はなかったというぐらいに影響をうけた番組。今日はちょっと感傷に浸ってみました。
当時の番組についてはこちらにチラリと紹介されています。そうでした、原盤はケイシー・ケイサムの番組だったんですよね。
American Top 40 - Wikipedia
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