「日本的風土の再構築」というシンポジウムでの伊東豊雄氏

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今朝の新聞で、建築家の伊東豊雄氏が「一本の線で自然と人間を分けられるという手法は間違いだった」と発言されていたという記事を読みました。この話が気になって家に帰ってから調べてみたところ、どうやらこちらのシンポジウムでの発言だったようです。

「日本的風土の再構築」――東日本大震災からの復興を風土の視点から考える | をちこちMagazine

元の発言は、このシンポジウムの中のこのあたりの話を差していたようです。
自然と人間の住む場所との間に1本の境界線を引き、それによって囲い込めば、中は最適な環境だと考えられてきました。その思想が今回、根本的に崩されてしまったと思っています。

前後の話の流れも大切なので、詳しくは原文を読んでいただくとして、釜石市の復興計画に協力している中での伊東氏の考えが語られています。

今、各自治体は「今までの1本の線では無理だ。3本にしよう」と考えていますが、結局、同じことだと思います。変わらなくてはならないのは、そうした近代主義的な思想なのです。もっと人々が、自然は恐ろしいものと考え、自然に対して自分たちがここに住むことを許してくださいという気持ちがあれば、こんなに大きな被災にはならなかったはずです。

「許してください」とまではいかなくても、近代主義的(私には土建屋的としか思えませんが)町造りは、地方の隅々まで行き渡っていて、もうすっかり当たり前になってしまっていました。三陸の漁港の多くも、大なり小なり国の補助金で港を整備したりしていましたよね。それが自然の力であっというまに数十年前に押し戻されてしまったようにも思うのです。もちろん長い年月の間に作られた町並みが、一気になにもなくなって変わり果てててしまったことは衝撃なのですが、近代的な構築物を前に、まさかね…みたいな慢心があったことは事実。

それを思想として復興計画に取り組むことが最大の課題だと思います。  住民の意思を自治体の計画の中に組み込んで、少しでも自然と良い関係を結んだ町を復興できるのか。ですから、私が東北を支援するのではなくて、これは私自身の問題でもあり、建築家全体の問題でもあると思っています。

実際問題としてこれはなかなか難しそうではあります。多くの地域で、もう土建屋的コンサルタントが、お得意のいろんな境界線を使って、ここには家を建てる、ここには建てるな、ここは産業エリア…というようなエリアプランが早い段階でできあがってしまっています。その土台の中で、建築家の方々がどこまで貢献できるのか。他の地区はもう無理だとしても、釜石が伊東氏の称える思想に本気で取り組むことができるのか…。遠くからですが、どんなことになっていくのか注目していきたいと思います。

石巻…ですか?どうなっているのでしょうね。自分の行動範囲のことで恐縮ですが、門脇・南浜町地区の海側と山川の嵩上げ道路の間に、凡庸な庭園的公園ができてしまうことだけは避けて欲しいなと思っています。私の持論、こうなったら自然にまかせるプランは、門脇村だったころに戻るということとほぼ同じなんです。草競馬をやっていた戦後の状態に戻すのでも良いのです。海岸沿いにがっちりと道路が通っている時点でもう私のプランはもうアウトですが、少しでも自然に寄り添ったものを作っていただきたいものです。

今回津波の被害が大きかった地域は、リアス式海岸の小さな港を除くと、もともと砂浜や松林であったところ、湿地帯(のちに田んぼ)であったところがほとんど。関東地区で液状化や家屋破損の被害が大きかったところも、埋め立て地だったり湿地(田んぼや池)だったりしたところばかりです。ここにも伊東氏のいうところの近代主義的思想の失敗が現れていると思うのですが、そんな絵空事ををウジャウジャ言っている間に、復興どころか人がどんどんいなくなってしまう…という現実に、なかなか解決策が見えない辛さがあります。これってどこで誰が頑張ればいいのかなぁ。難しいですね。

ただいま説明会の真っ最中…
被災市街地復興推進地域内の復興事業説明会について(石巻市)

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このページは、raizoが2011年11月22日に書いたブログ記事です。

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