震災後「建築家として何ができるのか」と考え始めたと同時に「日本の社会で、建築家は本当に必要とされているのか」と自問しながら文章は進みます。
震災復興という事業の中では、そもそも「建築家」は何もできないというところから始まります。お呼びがかかることはなく、活躍するのは土木コンサルタントなのだそうです。実際に建築家としていろんな提案をしても、あくまで「提案」で、復興計画にそのプランが採用されるのかどうかもわからない。確かにそういった印象はありますね。
被災地を考えると称して、いろんなエライ人達が来て、いろんな提言が出されるけれど、言いっ放しでそれで終わり。実際の復興計画は、画一的な防災目的の構築物が、先行して淡々と進んでいるような気がします。あくまで外から見ての印象ですが。
その責任は自己表現を優先する建築家の側にもあったけれど、これからはもっと社会参加するべきではないのかというのが、今回の氏の考えの出発点であります。
そして、公共建築は機能優先の「減災・防災」の「機能」が優先されるけれど、人間にとっては楽しいものではなく、さらにそんな建築が並ぶ街が楽しいはずが無い、三陸の人たちがこれまでの住環境から離れ、郊外の住宅団地のような街に住んで楽しいわけがない…と。
仮設住宅として、均一のプレファブという、(非人間的とは言わないけれど)都会のワンルームマンション的な無機質な空間が大量に造られ、これまで持ち家で暮らしていた人たちにとっては、その住環境もストレスになっているのではないかと。
そこから、実際に現地に行き、仮設住宅に住む人達の話を聞きながら、釜石での復興計画提案、仙台や陸前高田に「みんなの家」が生まれてきました。できあがったものは、伊東豊雄氏のこれまでの建築とは全く違うもので、その変容にも一種の驚きを感じています。
悪く言えば、なにやら偉そうな建築家さんが頼みもしないのにやってきて、勝手に作っていったモノと空々しく捉える向きもあるかもしれません。でもそういった批判は承知の上。その手の批判は実際はほとんどが外部の人からのものだとも書かれています。
なにか面白そうだ、楽しそうだという視点が少しでも生まれれば、みんなに受け入れやすい。そうでなくても、一方的に上から下りてくるのではなく、やはりそれなりに決定の経緯や理由をはっきりと説明してもらいたいですよね。大きな自治体になるほど、知らない間にいろいろ決まってしまうので、あきらめモードになっていますし。
建築家の言うことは絵に描いた餅…とばかりもいえないと思うのです。ただでさえ人手不足で、これ以上仕事を増やしたくない役所の事情もよ~くわかりますが、このような機運を、もっと活かす方向に進んでくれるといいなと思います。
伊東豊雄氏の方向性は、私にもとてもわかりやすいもので、共感できるものでした。今後もまだまだ長く続いていく復興の段階を経ていく中で、その段階に合わせた提案をし続けてもらえたらと願うばかりであります。
さて、もう1冊の伊東本。こちらは単行本を文庫化したものです。以前単行本が出た時に買って読み、すぐ売ってしまったのですが、あとから後悔しておりました。書き出しと終わりに、最近の活動が加わっています。「観察記」ですから、第三者的な目線から氏の仕事ぶりが語られています。お弟子さんたち結構怒られているんだな…とか、コム・デ・ギャルソン好きとか、居眠りがお得意…など、普通のお仕事紹介文では出てこないような話もアリ。
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