映画「阿賀に生きる」を20年ぶりに観る。

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映画『阿賀に生きる』公式サイト
『阿賀に生きる』はドキュメンタリー映画の開拓者、佐藤真の初監督作品です。1992年当時、映画館でドキュメンタリー映画がロードショーで上映されることがなかった時代、異例ともいえるロードショー公開がなされ、(中略)新潟水俣病という社会的なテーマを根底に据えながらも、そこからはみ出す人間の命の賛歌をまるごと収め、世界中に大きな感動を与えました。


20年振りのロードショー公開、私も20年振りに観に行きました。もともと16mmの映画でしたが、今回の上映にあたり、あえてデジタルにはせずに16mmフィルムのニュープリントでの上映なのだそうです。

20年前は、慣れない六本木に観に行ったことは覚えていて、帰りにWAVEに寄り道して、都会的なCDショップを眺めて帰ってきたのですが、映画館の名前が思い出せませんでした。調べてみると「シネヴィヴァン六本木」。そうですよ、まだセゾン文化隆盛の時代…もう遠い昔になってしまいました。

阿賀野川の電源開発により、昭和の初めに山の中に昭和電工の工場ができ、地元は雇用が増えて人口も増。町も賑やかになり、一時期地元も潤ったわけですが、一方で、過疎が始まりつつあった周辺の地域に住んでいるおじいちゃんおばあちゃん人たちは、昔ながらの川の生活・山の生活を淡々と続けており、そしてその人たちが水俣病の患者であったりするわけです。

映画ではそんな阿賀野川周辺に生きる、おじいちゃん・おばあちゃんたちの生活が淡々と写し出されます。冒頭は足場のわるそうな棚田の農作業からスタート。訴訟のために、地元の会合があったり、みんなで地裁へ出向く様子、訴訟に加わっている人の話も出ては来ますが、それも地域の日常のできごとのひとつとして入っているような気がしました。

20年前に見た時に印象に残っていたのが、船大工のおじいちゃんと、鮭を鍵でひっかけて釣るシーンでした。逆に今回は、明るいおばあちゃん達のほうがより強く印象に残りました。重労働も多いし、日々の生活もなんということはないのだけれど、この地域でみんなで生きていくことそのものが喜びなのかな…と。20年経ったあの震災後・フクシマ後の今、この映画をあらためて観ると、感じるところもまた違ってきたように思います。

かつては食べていくために、川岸の土地を利用したり、山を切り開いて棚田にしたり、川で漁をし、漁をする人たちのために船を作っていたわけですが、今の世の中、食べていくためには、大半の人たちが仕事のある町に出ていかざるを得ず、映画に出てくるような暮らしが消えて行くのも、時代の流れであり、やがて集落も消えていくのかもしれません。とすると、やがてこの映画も、次は「消えた村々」の貴重な記録となるのかもしれません。

この映画、新潟水俣病の住民運動の映画とは違います。まさに「生きる」映画。気負わずに多くの方にみていただきたいです。

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このページは、raizoが2012年12月 6日に書いたブログ記事です。

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